対談1 「障害学生支援の専門職はどのようにつくられるか—経験とスキル、そしてキャリアパス—」 コーディネーター 藤原隆宏(関西大学) 対談パートナー 吉田朝香(京都大学) キャリアのスタート地点 藤原 最初にこの企画の趣旨を説明したいと思います。 文部科学省がまとめた「障害のある学生の修学支援に関する検討会報告」、いわゆる第三次まとめに書かれた内容がこの企画の背景にあります。 第三次まとめには、障害学生支援の機能として、専門的知識を有する支援担当者を配置すること、支援担当者の専門性の向上、あるいはキャリアパスの構築が重要だと書かれていました。つまり、専門職に対する期待は大きく、支援担当者はそれに応えていく責任があるということです。 しかしながら、障害学生支援の専門職には、どのような資格やスキルがあれば事足りるかといったことが統一的に示されているわけではありません。いろいろな資格や経験のある人、あるいはそういうものはなく支援担当者として割り当てられている人など、それぞれが現場で対応しているのが現状だと思います。 こうした現状認識のもとで今日のお話を進めていくのですが、何か明確な答えを出そうという企画ではありません。私と対談者の吉田さんは日々現場でケースに向き合うコーディネーターです。その二人が対談をしながら、われわれはどのような経験をもち、今後その経験をもとにどのような実践をし、学んでいけば良いのかといったことを考えていきたいと思っています。 私たちの話を聞いていただくなかで、障害学生支援の専門職が形成されていくプロセスとか、専門職がもつべき共通の価値といったものが見つかるかもしれません。ぜひ気楽な感じで聞いていただけるとありがたいです。 まずこの企画をするにあたって、自分のキャリアのスタートがどこにあるのかということを考えました。私の経歴を簡単に紹介させていただきます。 大学卒業時は就職先を決めず、兵庫県の田舎にある実家に戻って、半年ぐらいスポーツクラブのインストラクターをしていました。でも親の手前もあって、就職しないとあかんということで、水質検査をする民間企業に就職しました。 そこがいまでいうブラック企業でした。朝仕事に行って、終わるのは日付の変わる頃。入社して3ヶ月で責任をもたされることになりました。その時に私が学んだのは、人間その気になれば何とかなるということです。だからいま仕事が大変だなと思っても、この時のことを思い返すと寝なければ何とかなると思えてしまう。そんなことを学んだ2年間でした。 そこを辞めて1ヶ月間ぐらいドイツに行って、その後、地元の社会福祉協議会(以下、社協)で人を募集していると聞いて受けてみたら通った。それで就職しました。ここがもしかしたらいまにつながるキャリアのスタートかなと思います。 社協というのは地域福祉をやるところです。簡単に言うと、地域にある福祉課題を地域に暮らす住民たちの主体的な活動によって改善したり、解消していくことを推進し、支援するところです。私はそこで地域福祉コーディネーターとか福祉活動専門員という立場で関わっていました。 具体的にやっていたことは、住民からの相談を受けたり、それに基づいていろいろな企画を練ったり広報をしたり、組織化するといったことです。いまやっていることと似ていると思います。 この社協で11年間働き、退職しました。退職してからは精神障害者の地域生活を支援するNPOで相談支援をやったり、精神保健福祉士、社会福祉士を養成する大学や専門学校で教えたりしていました。 余談ですけど、この時に派遣社員として携帯電話をつくることもしていて、日本のものづくりを学びました。面白かったですね。 そんなことをしていた時に関西大学の社会連携部という地域貢献をするような部署で、地域連携マネージャーを募集すると聞きました。大学と自治体をつなぐ仕事ということで、人の勧めもあって受けてみたら採用された。そこで仕事をしていた時に、障害学生支援の部局をつくると声を掛けられ、いまに至ります。私の経歴はいったんこんなところです。 吉田 藤原さんは基本的に社会福祉士をベースにやってこられたのだと思うのですが、それまでに水質検査の仕事をしたり携帯電話をつくったりと、本当にいろいろな仕事をされてきたんだなと思いました。 いまのお話では触れられなかったのですが、大学の時のご専門や関心のあったことを聞かせていただけたらと思います。 藤原 私は関西大学文学部教育学科を卒業しています。ただ別に教師になりたかったわけではありません。先ほども言った通り、出身が兵庫県の田舎の方だったので、周りの人たちみんながお互いを知っているような、人との関わりが強い地域で育ちました。親に遊びに連れて行ってもらった記憶はあまりなくて、公民館活動というか、そういうものにいろいろと参加していたんです。だからどちらかというと、生涯教育なんかに関心をもっていました。 ただ高校まではサッカーばかりやっていて、高3の夏ぐらいまではサッカーで進学しようと思っていたぐらいです。でも親が「大学なんか行かんでええ」「早く就職して、家や田んぼを守ってくれ」と言っていたので、私は二つの条件を出して大学に行かせてほしいと頼みました。 その一つが、経済的なことを含めてできるだけ自分でやっていくということ。もう一つは、卒業したら帰ってくるということ。結局、夜間部に通うことになって、昼間は仕事をしていました。それでも大学ではいろいろな人やものとの出会いがあって、そのなかで特に印象に残っていることが二つあります。 その一つがフリースクールです。当時はフリースクールってほとんど知られていなくて、たまたま新聞で見つけたところを訪ねてみたんです。自分の知っていることや考えていることが通用しない場があるのだと知り、驚きました。私自身は、学校は行ってあたり前という環境で育ったので、そうではない人や場があることを知りませんでした。 もう一つが夜間中学校です。大学の先生に紹介されたのがきっかけで、大阪の梅田にある当時は高齢の在日朝鮮人の方が日本語を学んでおられるところを訪ねました。 日本語を教えるということで行っていましたが、実際にはその人たちから言葉を奪われた歴史とか学べなかった環境について聞かせてもらい、すごく刺激を受けました。ただ私自身はフリースクールや夜間中学といった場にどっぷり入ることはなくて、なんでそういうことが起きているのか、社会的な背景には何があるのかみたいなところに関心がありました。 そんなことを考えている時に出会ったのが東井義雄という、兵庫県で教鞭を執っていた小学校の先生でした。この人の話をすると長くなるので簡単に紹介すると、『村を育てる学力』という本を書かれた方です。 勉強をした子どもたちがみんな村を捨てて都会に出て行く。だから田舎はずっと変わらない。必要なのは地域に根ざした教育、生活に根ざした教育だと言われ、そういう実践をされた方です。その方の話を聞いて、地域とかコミュニティとか、あるいは差別とか排除みたいなことにより強く関心をもつようになりました。 吉田 ご自身の育った環境もあいまって、地域に根ざすとか社会的な背景を考えるとか、そういうことをすごく大事にされてきたんだろうと思いました。 そうしたなかで本格的に社会とつながり、福祉の専門職としてやっていかれるようになったのが社協だったと思うのですが、どのようなことをされていたのかもう少し詳しくお聞きしても良いですか。 藤原 そうですね、実は社協が何かも知らずに入職しました。なので、就職してからいろいろと勉強したんですね。社会福祉士の資格を取ったのも社協に入ってからです。 さきほども言いましたが、社協は地域福祉が専門で、地域をどのように変えていくかを重視しているのですが、それが自分の関心と合っていたんだと思います。 ちょうど私が入った頃は、介護保険制度や支援費制度ができるなど、社会福祉基礎構造改革というものが始まった頃で、それまで措置としてやっていたことがサービスに変わっていく時代でした。 福祉そのものが大きく変わっていくなかで、平成の大合併と呼ばれる自治体の合併も行われました。そうした状況で社協にも組織の変化が求められていきます。だから、新しい社協をどうつくっていくかみたいなことにすごく力を入れて取り組んでいました。もっといろいろなことがありましたけど、印象に残っているのはそんなところですね。 吉田 何をするかわからないまま就職したのに、それだけ大きなお仕事をされていたというのはちょっとびっくりしました。資格も社協で働いてから取られたっていうのも面白いですね。 藤原 自分には背景となるものがないと思っていたので、社協に入って社会福祉士という資格があることを知って、何か資格をもっとかなあかん!みたいな感じで取ったんですよね。 吉田 なるほど。そこから今度はまた大学という場所に変わられた。しかも、社会連携部という、それを見ただけでは何をするところかなかなかイメージしにくいところに行かれた。これに限らず、新しい仕事を見つける時はどういう思いで見つけたり転職をされているのかお聞きしてみたいです。 藤原 よく聞かれるのが、なぜ社協を辞めたのかということです。でも正直、自分でもわからなくて、明確な理由がないんですよ。 今年(2024年)3月に京都大学であったセミナーの講師の方が、専門職というのは同じ環境のなかで仕事をするので10年ぐらい続けていると飽きてくると話されていて、腑に落ちたんです。 ずっと続けていると妙に見通しが立つようになっていって、自分の役割が終わったというか、もう少し違うフィールドでやってみたいという気持ちが出てくるのかもしれないです。 ただ次にやる仕事を決めて仕事を辞めたことは一度もなくて、辞めてから声を掛けてもらって、与えられた役割を果たしていたらいまにたどり着いた。そういう感じです。 吉田 求められたところでやっていく、しかもそれが10年ぐらいの単位でやってこられたというのが藤原さんを特徴付けるエピソードだなと思いました。 藤原 一点だけ、いまの仕事は12年になりますけど、辞めようとは思っていませんのでそれだけはちょっとお伝えしておこうと思います。 私のことばかりになっちゃったので、そろそろバトンタッチして吉田さんの経歴を紹介していただきたいと思います。 障害学生支援に出会うまで 吉田 私は大学では臨床心理学を専攻していて、大学院修了後は、大阪府内にある自治体の教育センターで週4日相談員をやり、残りの1日は奈良県でスクールカウンセラーをやっていました。 10年という話がありましたけど、私も10年やって退職して、大学の障害学生支援の現場に入りました。まずは私立大学のコーディネーターを2年して、その後、現在の京都大学DRCに来て今年で3年目になります。 藤原 心理職の王道を歩んでこられたように思いますが、最初から心理職を目指そうと思っていたのですか。 吉田 いつ頃からかは覚えていないのですが、もともとなんとなく興味はありました。高校時代に心理学者の河合隼雄さんの著書に触れる機会があって、人間のこころって面白いなと思ったのが一つのきっかけだったと思います。 大学は臨床心理学を学べるところを選んだのですが、そこからすぐに心理職を目指したわけではなくて、いま考えるとけっこう悩んでいたと思います。 所属していた学部が教育学系だったこともあって、教員免許をとってみたり、学芸員の免許をとってみたり、そういう仕事に就こうかなと考えていた時期もあったのですが、学部3回生の時に母校の高校に教育実習に行って、お世話になった先生から、教員もなかなか面白いよ、教員になったらどうやって言われたんですよね。その時に思ったんです。人にものを教えるとか、クラスという集団をマネージメントするといったことに実は関心がないのかのかもしれないって。 さきほど藤原さんがフリースクールのお話をされていましたけど、私も学生時代に適応指導教室という不登校の子どもたちが通うところでアルバイトをしていたんです。10人ぐらいの小・中学生に個別に勉強を教えたり、一緒に遊んだりしていました。 やっていることは学校の先生と変わらないかもしれないのですが、個人の気持ちに働きかけるというのが大きくて、みんなで遊んでいても集団のなかでの子ども同士の関係性とか、気持ちの影響のし合い方を見ながら、そこに介入していく仕事でした。そちらの方が興味があるし、面白い、やりがいがあると思って、心理職をやっていこうと決めたんだと思います。 藤原 心理の勉強をしながらいろいろな経験をされ、そのなかで自分の関心がどこにあるのかを見つけていったという感じですね。 吉田 そうですね。何かを決めるということがもともと得意ではなかったこともあって、本当にこれで良いのかなというのはあったと思います。でもそのなかで自分が一番惹かれたものを選んだのだと思います。 藤原 心理職として、教育センターで10年間ぐらいお仕事をされてきたということですが、具体的にはどんなことをされ、どんなことを感じておられたのかを教えてもらえますか。 吉田 何をしていたかを説明するのはいつも難しいなと思うのですが、幼稚園児から高校生の子どもまでとその保護者、教員を対象にして、来所相談をしたり学校に出向いて出張相談をしたり、電話相談をしたり、あと検査をしたり教員や他の機関と連携するといったことをしていました。 多くは保護者からの相談でした。子どもが学校に行かないとか学校でトラブルばかり起こすとか、そういった困りごとをもってセンターに来られます。 例えば不登校で学校に行けないという話だったら、先生と私が連携をして教室の環境調整をしたり、個別の支援をしたり、学校に通いやすくなるような環境整備をまずはします。でもそれで改善するケースってそれほど多くはないんです。むしろそこからが相談の本格的なスタートになります。問題にぶち当たって初めて立ち止まり、子どものしていることの意味を考えるようになるということです。 例えば不登校の子の場合、教室の環境が良くなっても行けないままということがあります。それでよくよく話を聞いていくと、子どもがお母さんとの関係性をもう一回やり直したいと思っている。やり直す機会として、不登校になっているんだということが分かる。 あるいは、学校ではものすごく優等生でいるんだけど、家に帰ったらめちゃめちゃ暴れる子がいて、それもよくよく話を聞くと、おうちで家族があまり話をしていない、感情のやり取りがないということがわかる。そこで子どもが暴れると、家族みんながそれに巻き込まれ、感情が出てくるみたいなことが起こる。そういう家族のあり方を再編成する、と言ったら大げさかもしれないですけど、そういう役割がその子に症状として表れていることがあります。 だから、不登校の子を学校に行かせるようにするとか、暴れるのをやめさせようとするといった直接的な働きかけよりも、その背景に何があるのかを見ながら、それを一緒に考えていくような仕事をしていました。 藤原 すごく高度なことをされていたんですね。私にはそうした経験がないので、少しわかりにくい部分もあるのですが、とても難しそうです。 吉田 きれいに分かってやっていたわけではないと思います。でも、何が答えかよくわからないなかで、保護者や子どもたちと一緒にその場を持ち堪えるというか、何かわからないけど、とりあえず話を聞こうみたいなことをしていたんだと思います。 藤原 でも10年くらいやっていると、なんとなくこのケースだとこの対応ができるなと見えてくることもあると思うのですが、私と同じで、結局10年で辞めて障害学生支援のコーディネーターになろうと思われたのはどうしてですか。 吉田 一つひとつのケースは全部が新しいので、すべて分かるみたいなことはなかったです。でもやっぱりおっしゃった通り、その自治体で使えるリソースもだんだん分かってくるし、連携先であれば誰に任せたら良いかみたいなことも分かってきて、徐々に自分がやれているとか、分かっているみたいな感じが出てきてしまったところがあったと思います。逆に、それがすごく不安になっていったんですよね。 飽きたというよりも分かっている気になっている、見えていないことが見えた気になっていることの方が不安になり、それでいったん辞めようと思いました。私も藤原さんと一緒で、次の仕事を決めずに辞めたんです。 なぜ大学で支援の仕事をしようと思ったかというと、それまでは高校生までの子どもたちを見ていました。自分がいままでやってきたことが大学でどれくらい生かされているのかを見てみたいというのがありました。それから、高校を卒業して社会に出て行く前の段階で、その子どもたちがどういう生活をしてどういうことを経験するのかを知りたいという思いもありました。 いま、心理の専門性をどう考えるか 藤原 吉田さんが障害学生支援の仕事を始められた時は、すでに障害学生支援というものが定着していてコーディネーターという仕事があることもわかっていたんですよね。 吉田 そうですね。私は障害学生支援が立ち上がった頃のことは分かっていなくて、できあがったところに入らせてもらった感じです。 藤原 吉田さんにお聞きしたいのは、障害学生支援の世界に入ってこられて、これまでの経験や専門性がどのくらい生かされているのか、あるいは逆に、自分がこれまでやってきたこととギャップを感じることがあれば、それはどんなところかということです。 吉田 そうですね。生かせているかどうかはわかりませんが、やはり精神障害、発達障害のある学生さんを見立てる視点と言ったら良いのか、そういうことを考える上ではこれまでやってきたことが生かされているかなと思います。 藤原 見立てる視点というと? 吉田 例えば学生が障害をオープンにするかどうか迷う場面があると思います。あるいは、本当はこんなふうにしたいと頭では思っているのに、特性や症状があるなかで、なかなか思うようにできないという葛藤や不安がある場合、いろいろな感情が出てきます。そうした時に、カウンセリングをするわけではないのですが、そういう学生のなかから出てきた気持ちをキャッチして、見立てる。その上で、学生が持ち堪えられるように、なんかしんどいよね……みたいなことを一緒に言い合うとか、なんて言ったら良いかな、一緒に経験していくみたいなところにこれまでの視点が生かされているのかなと思います。 藤原 カウンセリングじゃないとおっしゃいましたが、そこは割り切れていますか。 吉田 最初はどう区切れば良いのか自分のなかで軸を見つけるのがけっこう難しかったと思います。なかには感情を扱ってほしいと思っている学生もいるので、そこに自分がどう区切りをつけるかを考えることはいまでもあります。知っているし分かっているけれど、そこにはあえて触れないというか。そういった場合は学生相談やカウンセリングに提案するようにしているのですが、なかなか難しいところもあります。 藤原 逆に、心理職としての専門性をあえて生かす場面もあるのですか。 吉田 あまり学生の感情を扱いすぎるとカウンセリングに行かなくなっちゃいますよね。話すべきところで話さなくなってしまうから、そこはあえてやらない、淡々とやるようにしています。 藤原 なるほど、ありがとうございます。あとお聞きしてみたいのは、これまでの経験でいまの業務はカバーできているかということです。 吉田 それが全然できていなくて……。京大に来た時、これまでの仕事がここでは役に立たないと思ってチーフに相談しに行ったことがあります。障害学生支援の現場は、スピード感や瞬発力が求められるというのが最初の大きな衝撃でした。 私が前職でやっていたことは、立ち止まって考えることでした。そういうことはもちろんいまでもありますが、特に身体障害の学生さんへの環境調整やアクセシビリティの面では、やはりスピードが勝負になることがありますよね。そういうノウハウをもっていないので、どうすれば良いのかわからなくてすごく戸惑ったことがあります。 あとは、考え方が違うところも大きな衝撃ではあったかなと思います。 藤原 考え方が違う……。もうちょっと説明できそうですか。 吉田 そうですね。個人にアプローチする仕事だったところが、社会とか環境にアプローチする仕事に変わったということです。 例えば、学生さんが卒業する時や何か節目の時にわざわざ挨拶に来られて、「ありがとうございました」と言われることがあると思うんです。ありがとうと言われるためにこの仕事をやっているわけではないのですが、それでもそうやって学生が言いたい気持ちは大事にしたいと思っていたんです。 でも、チーフにその話をした時に、ありがとうと言われるのは嬉しいけど、ありがとうと言わないといけない社会状況があるのはあまり喜べないと言われました。つまり、そこに社会的障壁があるということを考えないといけなんだと。なるほどと思いました。 ただ、なるほどと思う反面、いやそうなんだけど、でもその学生さんはありがとうと言いたい気持ちになったのだから、そういう関係性がつくれたということ自体は喜んでも良いのではないかと思ったりもして。そこにはギャップを感じるというか、どちらも正しいし間違ってはいないんだけど、考え方が違うということを感じたエピソードです。 チームとしてやっていく 藤原 私の思い込みかもしれないのですが、心理職って養成プロセスがかっちりしていて、なおかつ心理職になってからも研修が体系付けられていますよね。一方で障害学生支援はそれほどではない。 吉田さんの職場には、いまも話に出たチーフがスーパーバイザーとしていらっしゃいますね。それから、コーディネーターも複数人いますよね。そういうさまざまな考え方の人がいる環境で、それぞれとの関係性、あるいは自分の専門性を高めることについて何か具体的な取り組みをされていますか。 吉田 さっきおっしゃったように、心理職は養成課程がしっかりしている分、心理の価値観や考え方がしっかり軸にあります。だから、これが良いだろうみたいなことがなんとなく自分のなかにあるんですね。でもさまざまな専門性をもった他のスタッフと話をしていくとそこが揺らぐことがあって、それがかえって障害学生支援としての専門性を高めることにつながっているのかなと思います。 ただこの領域は新しく、何が専門性なのかまだ分かっていないところがありますね。だから、他のスタッフとのケースカンファレンスで意見を言い合いながら、一方で自分の軸を大事にするために心理職の研修だったり、スーパービジョンを受けることを続けるなどして、専門性とは何かといったことを考えながらやっています。 藤原 私が大学で支援部署を立ち上げた時は、コーディネーターが私一人だったんです。でもいまはコーディネーターが4人になったので、ケースの共有をするようになりました。 京都大学のようにスーパーバイザーがいれば少し高所から俯瞰して解説をしてもらえるのかもしれないですが、私にはその能力がないので、一つのケースを4人のコーディネーターが一緒に考え、話すようにしています。 私自身はソーシャルワークのなかでもコミュニティワークが背景にあったので、センターを立ち上げ、この部署をつくりあげていく時にもいろいろな環境調整に力点を置いてきました。 でもこれまでは地域というフィールドでやってきたので、大学という環境がはじめはわからなかったんです。ものごとの進め方が全然違って、学内の合意形成など大学でものごとを進めていくために必要なプロセスは、大学の事務職員の人に入ってもらって、チームとして一緒にやってきたということがあります。 また障害学生支援そのものについても経験があったわけではないので、部署を立ち上げる時にはいろいろな大学に行かせてもらって、その現場の人たちから本当にたくさんのことを教えてもらいました。その時のネットワークが私のなかでは大きな財産となって残っています。 個と社会を行き来する 吉田 藤原さんに聞いてみたいのですが、藤原さんはコミュニティであるとか、社会にアプローチすることをこれまでやってこられたと思います。部署を立ち上げる時も、そういった理念が背景にあったのだろうと思いました。 でも、そうした思いや理念があることで、逆に戸惑うことはなかったですか。私の話で言うと、個人にアプローチすることと社会にアプローチすることの違いみたいなものがあったのですが、藤原さんはそうしたギャップのようなものは感じられなかったですか。 藤原 鋭いですね。社会に対するアプローチもまだまだ必要だと思っていますが、一方で現場で学生と向き合っていると、個人に対するアプローチみたいなものも大事だなと思うことが増えています。 環境調整がもっと進めば必要なくなるのかもしれませんが、特に発達障害の学生さんの支援をしていこうと思うと、まだまだ本人へのアプローチ、例えば自分自身を理解することや意思を表明していくことなど、学生個人に対するアプローチが必要だなと思うことがあります。逆にそのあたりの経験が私には少ないので、課題だと思っています。 吉田 藤原さんも個と社会を行き来しながらやっておられるという話を聞けて、とても安心したところであります。 藤原 まだまだ未熟者ですから……。でも、今日のこういう場もそうですが、いろいろな刺激を受けたり、自分自身が学ぶ機会は大事です。さきほど吉田さんは、職場を離れて個人として学びの場をもっておられるとおっしゃいましたね。 吉田 そうですね。自分自身のスーパービジョンを受けに行くこともありますし、あえて障害学生支援とはちょっと離れた心理の勉強会に参加することもあります。 普段の仕事から少し距離を置くことで、また俯瞰して見られるというか、ふとしたことに気付けることがあると思います。 これからの障害学生支援 藤原  そろそろまとめに入っていこうと思いますが、その前に一つだけどうしても聞きたいことがあります。吉田さんは障害学生支援を5年続けてこられて、この先をどんなふうに考えていらっしゃいますか。 吉田 さっきの話だと、10年まであと5年ありますね。でも別に10年という区切りがあるわけではなく、私のなかではまだこの現場でやってみたいという気持ちがあります。 それはやっぱり、まだこの仕事の知識が圧倒的に足りていないということもありますし、自分が何の役に立てるのか、逆に心理の視点が役に立たないのはどういうところか、そういった心理の限界というのもきちんと理解したいと思っていて、それを知るためにももう少し続けたいと思っています。藤原さんはいかがですか。 藤原 私も新しい課題があるので、もうしばらく一緒に頑張りましょうかね。って、一体何の話やったんや?という感じですけど(笑)でも、この企画はこういう企画ですので。最後に感想があればお話しください。 吉田 今回は何より、自分のことを振り返る機会をいただいたなと思っていました。今日それをどこまでこの場でアウトプットできたかというとかなり微妙ですが、最後に一つだけ言いたいのは、藤原さんだったからすごくリラックスしながら話せたし、やりたいようにやらせてもらえたなと。それがたぶん藤原さんがコミュニティをつくっていく時のやり方、藤原さんのカラーなのかなと思って、体感した気持ちでおりました。 藤原 ありがとうございます。今日は対談ということで、大会実行委員長の村田淳さんからは人選も含めてお任せしますと言われていました。どなたをご指名するか悩んでいた時に、吉田さんと今年3月にお話しする機会があって、そこで吉田さんが、心理職としてのこれまでの経験だけではうまくいかないみたいな話をされていました。それを聞いた時に、私と吉田さんはこれまでの経歴が全然違うので、あえて一緒に話をすることでお互いに共通の価値が見つけられないかと思いました。 障害学生支援の専門職って、心理職の方もいれば、福祉職の方、看護職の方もいる。でも一方で障害学生支援では、そういう自分のもっているバックボーンだけではうまくいかないこともあります。障害学生支援の共通の価値みたいなものが本当はあるのに、それを学ぶための体系的な仕組みがまだないのだろうと思います。 いま京都大学HEAPや東京大学PHED、今回のAHEADJAPANでも、そうしたことを体系化しようと取り組まれていると思います。だからぜひこのような機会に、お互いに普段悩んでいることを出し合って横のつながりをつくりながら、自分も刺激を受けてやっていけたら良いのかなと思いました。 ということでとりとめのない話でしたが、お付き合いいただきありがとうございました。何か皆さんのなかで残るものがあればありがたいですし、みなさんもお互いに情報交換をしながら、刺激を得あっていただければ良いのかなと思います。 参考書籍 東井義雄『村を育てる学力(教育選書14)』(明治図書、1957) 登壇者プロフィール 藤原隆宏(ふじわらたかひろ) 関西大学学生相談・支援センターコーディネーター(社会福祉士) 佛教大学社会福祉学研究科修士課程修了。大学卒業後、民間企業を経て地元の社会福祉協議会に入職し、地域福祉の推進に力を注ぐ。兵庫県社協「地域福祉推進ビジョン策定委員会」「市町域の権利擁護活動のあり方検討委員会」「福祉教育推進委員会」等の委員を歴任。大学での社会福祉現場実習指導講師や専門学校講師を経て、2011年10月から関西大学の障害学生支援部門立ち上げに関わり、現職。東京大学障害と高等教育に関するプラットフォーム形成事業(PHED)における「キャンパスソーシャルワークに関する専門部会」コアメンバー。 吉田朝香(よしだあさか) 京都大学学生総合支援機構障害学生支援部門(DRC)コーディネーター(臨床心理士・公認心理師) 大学院終了後は教育センター相談員/スクールカウンセラーとして、初中等教育段階の子どもや保護者、教員を対象とした相談・検査等の業務に従事。退職後、私立大学での障害学生支援業務を経て現職。前職の経験から、日々の業務においては初中等教育から高等教育を経て就労するという発達過程を意識し、なかでも社会移行を見据えた自己理解のプロセスに注目して学内学生向けプログラムの企画を行っている。また、多職種から構成される本領域における専門性について関心がある(「京都大学学生総合支援機構紀要第3号(2024)」https://www.assdr.kyoto-u.ac.jp/publication/bulletin/)。