対談2 「改正障害者差別解消法の理念を実現するための大学のあり方:合理的配慮義務化の先を目指して」 コーディネーター 中野泰志(慶應義塾大学) 対談パートナー 大胡田誠(おおごだ法律事務所)弁護士を目指すまで 弁護士を目指すまで 中野 今日は慶應義塾大学の卒業生でもあり弁護士として活躍しておられる大胡田誠さんと、2024年4月からすべての事業者に対して合理的配慮の提供が義務化された「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(以下、差別解消法)」について、その理念や義務化の先にどのような社会が思い描かれているのかといったことを議論していきたいと思います。 大胡田さんが1997年に本学の法学部に入学された時、私は心理学の講義を担当していました。そして他の教職員とともに、大胡田さんが学ぶ上で必要なルールの変更や対面朗読等の環境整備を担当しました。 まずは大胡田さんに自己紹介をしていただければと思います。 大胡田 皆さん、こんにちは。大胡田という名前は珍しいようで、初めて聞く方がほとんどではないかと思うのですが、耳で聞いてもわかりにくいらしく、「弁護士の大胡田です」と言うと「オオボラ弁護士ですか?」なんて言われてしまうこともあります。今日はオオボラではない本音トークでお話をしたいと思っております(笑) 私は1977年に静岡県の中伊豆町という田舎町で、先天性緑内障をもって生まれました。子どもの頃はまだ少し見えており、小学生の頃の視力は0.1ぐらいでした。ところがこの病気は成長とともに進行することが多く、私の場合もそうでした。 小学6年生の頃から急速に視力が下がり始め、6年生の秋を迎える頃には明暗の区別もつかなくなり、全盲に近い状態になりました。本を読むこともできず、自由に歩くことも難しくなり、そのせいで周りのみんなよりも劣った存在になったというコンプレックスを感じるようになりました。 中学校は、目が見えていた頃の自分を誰も知らない新しい場所に行きたいという思いで、東京にある筑波大学付属盲学校に入学しました。 複雑な思いで始まった盲学校生活ですが、中学2年生の夏にその後の人生を大きく変える1冊と出会います。『ぶつかって、ぶつかって』という本です。この本を書いたのは、日本で初めて点字の司法試験に合格した全盲の弁護士、竹下義樹(たけしたよしき)さんでした。 全盲になっていろいろなことの可能性が閉ざされたと思っていた私は、頑張って勉強すれば、弁護士という社会的責任の重い仕事に就くことができるのかと驚きました。そこから弁護士になりたいという夢を抱き、勉強を始めます。 この時思ったのは、教育の環境を整えたり配慮を充実させることはとても重要なことですが、障害のある子どもに、自分もやればできると思わせてあげることの方がもっと重要ではないかということです。そのためには、同じような障害をもって活躍している人の姿を見ることが一番効果的ではないかと思います。 私が弁護士になったのは29歳の時でした。それまでにもいろいろな苦労がありました。まずは大学受験です。高校の頃は参考書や問題集がほとんど点字になっていなかったので、たくさんのボランティアに点字に訳していただき、そこから受験勉強を始めなければなりませんでした。 受験する大学を選ぶ上でもいろいろな社会的障壁が出てきました。あまりご存知ないかもしれませんが、私が通っていた盲学校には受験制限というものがありました。 視覚障害の子どもが大学受験するとなると、点訳のできる方を何人も確保していっきに点訳する必要があるので、ものすごくマンパワーがいるんです。だから、すべての生徒が希望した大学を受験できるわけではなく、盲学校内部で模擬試験をして、C判定が出ると受験をさせてもらえないという内部基準がありました。 私は何とか受験できることになりましたが、次の問題は受験できる大学が限られていることでした。いまはさすがにないと思いますが、この頃は受験希望を大学側に伝えると、今年は準備が間に合わないとか安全が確保できないといった理由で断られることがありました。 幸い、慶應義塾大学は受験を認めてくれました。私よりも先に入学した全盲学生がいたので、理解があったのかもしれません。 学生時代の経験 大胡田 補欠合格ではありましたが、無事に法学部の学生になることができました。補欠とはいえ受かってしまえばこっちのものです。意気揚々と大学に入学しましたが、入学してから間も無い頃にこんな出来事がありました。 哲学の授業中、担当の教授が突然「大胡田くん、荷物をもって前に来なさい」と言いました。何かまずいことをしたかなとドキドキしながら前に出ると、ノートを取るために使っている点字の音がうるさいと苦情が出ている、だから教室の端の席に移ってほしいと言われたのです。 当時は点字板といって、紙に針でコツコツ穴をあけて点字を打っていました。どうしても音が出てしまうので自分でも気になってはいたのですが、教授からそのように言われたのはとてもショックでした。私はみんなと違う存在なんだと思ったら、その場で涙が溢れ止まらなくなった。ところが次の瞬間、思わぬことが起こりました。 教室のいたるところから私を弁護してくれる学生が現れたのです。同じ学生なんだから好きな席で授業を受ける権利がある、うるさいと思う人が席を移ればいいといった声が次々に上がり、授業はそっちのけで大討論になりました。最終的には私が好きな席で授業を受けて良いということになり、うるさいと思う人が動くことになりました。 これは、障害のために差別された出来事でしたが、一方で自分の味方になってくれる人がいて、その人たちの存在がどれほど大きな力を与えてくれるかを身をもって知る体験にもなりました。 この出来事が、弁護士のスタンスを決めるきっかけになったと思います。差別されたり理解されずに辛い思いをされている方に寄り添って、その方が一歩踏み出せるようお手伝いをする。そうした弁護士になりたいと思いました。 この時のことをあとから考えると、障害者と健常者が交わる時には摩擦が生じやすい。けれども摩擦を摩擦で終わらせず対話にもち込むことができれば、対話を通じてお互いのことを知り、お互いにとって良い環境がつくれるのではないかと思うようになりました。 いまはまだ障害のある子どもとない子どもが別れて勉強することが多いですね。それで大学生になって初めて、障害のある学生を見たという学生も多いと思います。そんな時に、いろいろな摩擦が起こるかもしれませんが、摩擦を対話に結びつけられると本当に良い学びになるし、良い大学環境が実現するように思います。 中野 大学時代のエピソードをご紹介いただきましたが、当時の慶應義塾大学は全盲の学生さんを受け入れたことがほとんどなく、現在の協生環境推進室のような支援をする部署もなかったので、大胡田さんが先生を一人ひとりまわって、自分に必要なルール変更などを説明しておられました。 心理学を担当していた私にも、大胡田さんが1本のVTRをもってきてくれました。そこにはご自身の生活のことがまとめられていて、今日はそれをもってきたので、皆さんにも一部を見ていただこうと思います。 (動画再生) 中野 大胡田さん、覚えていましたか。 大胡田 少し覚えています。これはボランティアサークルの仲間がつくってくれたものです。中野先生がおっしゃったように、まだ障害のある学生が珍しかったし、そもそも教授のほとんどが障害者に接したことがないということもあって、これを見てもらい、配慮があれば勉強ができるんだということを知ってもらうようにしていました。 中野 当時の大胡田さんは、CD-ROMに入った六法全書を、開発されたばかりのWindows 95のスクリーンリーダーを使って読まれていました。その頃はまだ誰も授業にパソコンなんてもち込んでいなかったので、大胡田さんは一人でハイテクな機器を使いこなして授業を受けていたわけです。 当時の内情を話すと、先生方のなかには大胡田さんが自宅から大学まで安全に来ることができるのかと心配する人もいました。 このVTRには続きがあって、下宿先での生活の様子も映っているのですが、趣味のギターを奏でていたり、障害のない学生と同じように生活していることがわかる内容になっています。このVTRを大胡田さんが先生一人ひとりに渡して理解啓発活動をしていったわけです。 大胡田さんの入学以降は、教室の入口のすべてに教室番号の点字がつくようになりました。その後入学する視覚障害のある学生さんの環境改善のきっかけをつくったのも大胡田さんです。 大胡田 そうだったんですね。 中野 その後、司法試験を受けて社会に出られ、さまざまな活動をされてきたと思うのですが、自己紹介の続きをお願いします。 大胡田 まず大学を卒業してからの3年間は司法試験浪人といって、山ごもりみたいな生活をしていました。それから新しくできた慶應義塾大学の法科大学院に入学して2年間勉強した後、弁護士になります。大学院生の頃は周りの先生方の理解も非常に進んでいたという印象があります。 いろいろと助けてもらった中でも非常にありがたかったのは、司法試験の受験制度を変える交渉のサポートをしていただいたことです。 当時の司法試験では点字受験はできたものの、パソコンを使ったり電子データを使った出題がありませんでした。でも試験問題は膨大な上に短時間で解かなければならないので、どうしてもパソコン受験が必須だと考え、法務省に司法試験の受験制度を変えてほしいという交渉をするのに、大学院の先生方にサポートをしてもらいました。 結果的に点字と電子データを併用した受験ができ、時間延長も認められました。でも、ただでさえ長い試験です。障害のない受験者も4日間で22時間かかる試験を、時間延長が認められた私は4日間で36時間30分という、朝から晩までずっと試験の日々を過ごすことになりました。でもそうして何とか弁護士になれたわけです。 見えない壁 大胡田 いまは東京・目黒にあるおおごだ法律事務所で事務所の経営をしながら弁護士業をやっています。普段は町弁などと言って、町医者的な弁護士として一般市民の方が直面する法律的なトラブルを取り扱っています。 私自身に障害があるので、視覚障害をはじめとするさまざまな障害のある方からのご相談もかなり多く受けます。いまは、大阪で聴覚障害のある11歳の女の子が車にひかれて亡くなったケースの裁判をやっています。 この子の両親が、車を運転していたドライバーに損害賠償の裁判を起こしました。聴覚障害がある女の子でしたが、当然、健常者の女の子と同じだけの賠償額を求めて裁判を起こしました。ところが相手側は、耳が聞こえなかったということは、大人になって健常者と同じ収入を得ることはできないだろうという理由で、事故に遭ったために得られなかった逸失利益は健常者の4割だと主張しました。これは絶対におかしいと思い、弁護団を組んで弁護を開始しました。 一審の大阪地方裁判所は、この女の子の逸失利益は健常者の85%だと言いました。でもその理屈がまったく分からない。この女の子は当時、年齢相応の学力を獲得していました。そして、その能力を発展させる可能性は十分にあったと認められる。しかし聴覚障害があると労働能力が制限されることも間違いない。だから85%になるという判決でした。 これは明らかにおかしいと思います。年齢相応の実能力を身につけているのであれば、年齢相応の収入が得られるという判断が自然です。それなのに現状では、裁判所もまだ聴覚障害は労働能力を制限するものという判断をしています。 これに対してわれわれは、いまはさまざまなテクノロジーが発達しているので聴覚障害があっても十分に労働能力は発揮できる。また合理的な配慮も法律の義務となっているので、職場では当然配慮されるはずだと考え、逸失利益は健常者と同じ程度にするべきだと主張し、大阪高裁に控訴して頑張っておりますので、ご注目いただければと思います。 見えにくい障害者の存在 中野 ここからは改めて差別解消法のポイントを大胡田さんに紹介していただきながら、大学での障害学生支援においてわれわれは何を目指して取り組むべきなのかということを議論していきたいと思います。 まずは、差別解消法のポイントについて説明していただいてもよろしいでしょうか。 大胡田 本日の行政説明のセッションで、内閣府の古屋勝史さん、文科省の奥井雅博さんから法律に関する基本的な説明がありました。私はその背景について話そうと思います。 奥井さんは、障害のある学生は決して珍しいものではないし、これからも当たり前になっていくと話されましたが、実際に日本で障害者はどれくらいいると思いますか。 令和6年版の障害者白書によると、身体障害者が436万人、知的障害者が109.4万人、精神障害者が614.8万人で、これらの合計は1160.2万人ということになっていました。 参考になるかわかりませんが、以前、日本人に多い名字を調べたことがあります。日本で一番多い名字は佐藤さんだそうです。だいたい200万人くらいいるようで、その次は鈴木さんで約200万人。3番目は髙橋さんで約150万人。4番目の田中さんも約150万人。これら四つの名字を合計すると約700万人になり、先ほどの障害者の数1160.2万人よりは少ない数になります。逆に言うと、障害者の数の方が少し多いのです。 でもこれはちょっと意外な感じがしませんか。何人かが集まると、そのなかに佐藤さんや鈴木さんが混じっていることは珍しくないし、髙橋さんや田中さんという名前の友人がいることも珍しくはないです。しかしながらそのなかに障害者が混じっているとか障害のある友人がいるということはあまりありません。これはなぜなでしょうか。 それは、障害者が社会で活躍することを阻むさまざまなバリアが残っているからだと思います。本当はたくさんいるはずの障害者が、社会で活躍できていないから実際よりも少なく感じられる。 日本で生活をしていると、建物や交通機関のバリアは低いけれど、心のバリアに悩まされることがけっこうあります。私の妻は盲導犬を使っているのですが、妻と2人で外出する時に盲導犬が入れないお店に出会うことが結構あります。 以前、寒い冬の時期にカフェに入ろうと思ったら盲導犬を入れてもらえず、外のテラス席でコーヒーを飲まなければならないことがありました。その時は本当に悔しくて、寒さや悲しさやらで震えながらコーヒーを飲みました。差別解消法によってこうした心のバリアがなくなっていけばいいなと思います。 合理的な配慮は一方通行ではいけない 大胡田 法律の話については、「環境の整備」と「合理的な配慮」との関係についてお話ししたいと思います。なんとなくこれら二つは同じようなものだと理解されている方がいると思いますが、違うものなので頭の中で整理しておくと良いと思います。 環境の整備はバリアフリーと置き換えても良いでしょう。バリアフリーとは、不特定多数の障害者の利便性を高める取り組みです。大学に障害者がいてもいなくても必ずやらなければならない、社会の最低基準みたいなものです。 しかしながら、そうした利便性を高める取り組みをしても残ってしまうバリアがあります。その残ってしまったバリアを個別の障害者からの申し出に応じて解消していくのが合理的配慮です。 環境の整備が「一般的、抽象的、事前的」であるのに対して、合理的配慮は「個別的、具体的、事後的」となり、この二つがいわば車の両輪となるので、それらがかみ合わないと十分な配慮、整備ができていないということになります。 ちょっとここで、具体的なイメージをもつためにクイズを出してみたいと思います。 1. あるレストランが車椅子対応のトイレを設置しました。これは合理的な配慮でしょうか。 →× 環境の整備であり、合理的な配慮ではありません。 2. あるスーパーで携帯式のスロープを購入しました。これは合理的な配慮でしょうか。 →× 環境の整備であり、合理的な配慮ではありません。 3. 信号待ちをしていると視覚障害者がいたので、横断歩道を渡る誘導をしました。これは合理的な配慮でしょうか。 →× 合理的な配慮は行政機関や民間事業者がやることなので、個人で行うものは法的な概念では合理的な配慮にあたりません。 4. レストランに視覚障害者が来たので、店員さんが気を利かせて点字メニューを渡しました。これは合理的な配慮でしょうか。 →× 合理的な配慮とは、障害者からの意思の表明に応じて行うものです。気を利かせてメニューを渡すことはすばらしい取り組みですが、合理的な配慮ではありません。またこの視覚障害者が点字を読めない可能性もあるので、「何かお手伝いしましょうか?」「点字のメニューも用意がありますよ」と声を掛けるのが良いでしょう。 5. 車椅子利用者がスーパーに買い物に来ました。2階の商品を見たいというので、スタッフが車椅子を担いで2階に上がりました。これは合理的な配慮でしょうか。 →○ 合理的な配慮にあたります。意志の表明に対して行う配慮だからです。一方で、車椅子をもち上げて2階にあがることは非常に危険です。この対応がその場にふさわしい合理的な配慮であったかどうかは別の問題です。例えば2階の商品を1階にもってくる、リストをもってくるなどの方法が考えられます。 大胡田 最後は少しひっかけ問題でした。法律の具体的な話はいったんここまでとします。 中野 今回の法改正ではすべての事業者に合理的配慮が義務化されました。そのことを法の理念の観点から紐解いていただけたらと思います。私はすべての事業者が、単に配慮を提供すれば良いという話ではないと思っていますが、いかがですか。 大胡田 差別解消法の目的にさかのぼって考えてみたいと思います。 この法律は、障害を理由とする差別の解消を推進することによって、すべての国民が障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合う社会を実現することを目的としています。 そのための手段として、不当な差別を禁止し、合理的な配慮の提供を義務付けるということです。ですから、すべての国民が障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重しあう。これは、健常者が障害者の人格と個性を尊重するという一方通行の話ではなく、障害者の側も健常者や事業者の個性や人格を尊重する。つまり、配慮する側がされる側に一方的に行うものではないということが読み取れます。 これまでも建設的対話が大事ということが強調されてきましたが、障害者の側からも、何ができて何ができないのか、そのためにどのような配慮が必要なのかということをきちんと伝えていくことが大切です。 伝えられた側の事業者あるいは行政機関は、障害者が求めている配慮ができるかどうか、できないのであれば何か別の手段がないかということを対話を通じて見出していく。これが合理的な配慮です。 例えば、男女というもので考えた場合、女性の学生が入学するからその特別な配慮として女性用のトイレをつくると言ったらダメでしょう。それは配慮ではなくて当然あるべきことだからです。障害についても同じで、配慮しましたというのではなく、障害のある方に調整するといった関係になるだろうと思います。 配慮という言葉がどうも一方通行というか、上の者が下の者に何かしてあげるというニュアンスを含んだ言葉に聞こえるので、そもそもこの訳語自体が問題だと指摘されている方もいますね。 イギリスでは、合理的な配慮をreasonable adjustmentsというらしいのですが、まさに合理的な調整ですね。お互いの必要性を話し合って、できることを出し合って調整するのが合理的な配慮だということは強調したいと思います。 中野 支援の現場では、法律に準拠するという目的で、学生と対話する機会をつくることばかりが重視されがちです。でも法律の理念を考えるとそれだけでは不十分で、対話をしながらどういう変更や調整が必要かをお互いに見つけていくことが必要なわけですね。 大胡田 おっしゃる通りです。まだまだ健常者は障害者のことを知らないし、障害者も実は健常者のことをあまり知らないんですよね。 学生も、大学にどのようなことを求めていけば良いのか、大学はそもそも何をするところなのかすら分かっていないことがあります。ですので、知らない者同士がわかり合って必要な配慮を見つけていくというプロセスが、合理的な配慮においてはとても重要だということです。 人権モデルの視点 中野 理念についてもう少し掘り下げたいのですが、国連の障害者権利条約と日本の差別解消法との関係性を教えてください。 というのは、2022年に日本政府は、国連の障害者権利委員会から総括所見という権利条約の条文ごとの懸念や勧告等を示されました。 第1回政府報告に関する障害者権利委員会の総括所見において、権利委員会は、「一般原則及び義務に関する懸念」として、「障害者への温情主義的アプローチの適用による障害に関連する国内法制および政策と本条約に含まれる障害の人権モデルとの調和の欠如」という指摘をしました。このあたりも含め、大胡田さんのお考えを教えていただければと思います。 大胡田 国連の障害者権利条約は、2006年の第61回国連総会で採択された条約です。これにより、障害を理由とするあらゆる差別を禁止することが締約国の義務になりました。その結果、日本でも差別解消法ができました。 「人権モデル」という言葉が出てきましたが、これがなかなか理解が難しいのですが、権利条約の第1条に少しヒントがあると思うのでご説明したいと思います。 第1条は「この条約は、全ての障害者によるあらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保護し、及び確保すること並びに障害者の固有の尊厳の尊重を促進することを目的とする。」とあります。 条約の目的は、障害者の人権と自由を保障すること。そして障害者がかけがえのない個人として尊重されることを守ることです。 人権モデルをひとことで表すと、障害者も人権が守られる社会にしようということです。 一方で「社会モデル」という言葉はずいぶんと一般的になりましたね。社会モデルとは、障害者の存在を前提とせずにつくられた社会の不備、これが一つの障害であることを指摘するものです。 社会モデルは社会的障壁を発見する仕組みとしては非常に有効だといわれていますが、問題は、発見した障壁をどうやって乗り越えるか。それを考える上で必要なのがこの人権という視点で、障害があるために人権が制約を受けていないかを確認するためのものです。 学校という文脈からは逸れてしまうかもしれませんが、例えば社会モデルを徹底してバリアフリーが完璧になり、お店などでも合理的な配慮がきちんと提供されるようになったとしても、それだけで障害者が自分の住みたいところに住めるようになるわけではありません。ヘルパーさんが身の回りのケアをして、あるいは所得保障がきちんとなされてはじめて、障害者が自分の住みたいところに住める。 しかしながら社会モデルでは、この給付的な側面の説明が難しく、そこに障害者も健常者と同じ人権があるという人権モデルが重要になってきます。 大学であれば学問の自由があり、教育を受ける権利があり、移動の自由といったものが保障されなければならないのですが、障害があるという理由でそれが果たされていなければ、それは人権モデルの観点から見て障壁が残っているといえます。 みんなと同じ人権を障害者が享受するためにはどうすれば良いのか。それを考えるために人権モデルの視点が有効なのです。 中野 ということは、今後、差別解消法はさらに改正を繰り返し、国連の求める人権モデルが実現するよう向かっていくと考えてよろしいですか。 大胡田 差別解消法の改正は言うまでもありませんが、加えて社会権も重要になってきます。障害者に対するさまざまな給付や生活のバックアップなどを強化していかなければならないということです。 例えば、日常生活で重度訪問介護を使っているけれど、学校では使えないといったことがあります。ガイドヘルパーを使って大学に通学することもできません。そういったワケの分からないことがまだまだあります。学問をするのに必要な給付が結び付いていない。 中野 重度訪問介護や同行援護をはじめとした移動支援は、障害学生支援の現場でもずっと問題になっています。今後われわれも大学を越えて、さまざまな法律や制度の改革を考えていかなければならないですね。 大胡田 中長期的な話になりますが、大学はそういったサポートへの橋渡し役として、学生が行政サービスを使えるようアレンジしていく必要があると思います。 最近相談を受けた事例ですが、車椅子の大学院生が、学外の学会に行くためのサポートを大学側に申し出ました。検討の結果、大学側は経済的な支援はできるかもしれないが、支援者は自分で探すようにと返答をしました。 経済的な支援をするという点は評価できますが、学生の本分は学問や研究をすることで、移動をすることではありません。学問以外に時間やエネルギーを割くことになれば、他の学生と比べてロスが大きくなる。だから、大学側が人を派遣できないのであれば、行政との調整を担って、学会に参加できるようアレンジするところまでやってほしいと思います。 中野 大胡田さんのお話を聞いていると、障害学生支援の中だけに留まっていてはいけないということが非常によくわかります。 私たちは障害のある学生を支援すると同時に、障害の有無に関わらずさまざまな学生の教育を担当しているわけです。大学は教育機関ですから、障害学生だけではなく、やがて社会に出て社会を支える存在になる他の学生らにも、この差別解消法の理念をきちんと伝えていく必要があるということを大胡田さんのメッセージから読み取りました。 大胡田 まさにおっしゃる通りだと思います。今日ご参加いただいている皆さんは、障害のある学生と接して、配慮が足りないところにいち早く気付けるという意味で、パイオニアです。 ですから皆さんの知見と経験を大学の内部の改革に生かしていただくとともに、社会をどうやって変えていけば良いのか、それもぜひ考えていただきたいと思います。大学が良くなったところで社会が酷いままだったら結局は何も変わらないから、大学での生活、そして卒業後を踏まえて、トータルで考えていただければと思います。 最後にリチャード・フロリダという社会学者の言葉を紹介して終わりたいと思います。 彼はアメリカのさまざまな都市を研究して、クリエイティブな活動が行われている都市には、三つの“t”が共通して存在することを発見しました。 一つ目は“talent”で、才能のある人たちが集まっていること。二つ目は“technology”で技術力があること。そしてもう一つは、“tolerance”という多様性に対する寛容さです。 西海岸やニューヨークといったクリエイティブな都市では、LGBTQの方の人口比率が高く、多様性に対する寛容さとクリエイティブな活動に相関関係があると言います。 大学がさらにクリエイティブで未来志向的な場になるためには、多様性に対する寛容さが不可欠なんだということをお伝えして、ぜひ皆さんにはすばらしい大学に向けてお力添えをいただきたいと思います。 《参考書籍》 竹下義樹『ぶつかって、ぶつかって』(かもがわ出版、1988) 登壇者プロフィール 中野泰志(なかのやすし) 慶應義塾大学経済学部教授/慶應義塾協生環境推進室バリアフリー推進事業委員会委員長として、障害学生支援に従事。博士(心理学)。 全国高等教育障害学生支援協議会理事、日本福祉心理学会理事、日本弱視教育研究会会長等を担当。国立特殊教育総合研究所・視覚障害教育研究部(1988〜1997年)、慶應義塾大学・経済学部(1997〜2003年)、東京大学先端科学技術研究センター・バリアフリープロジェクト(2003〜2006年)。 大胡田誠 (おおごだ まこと) 弁護士(おおごだ法律事務所)。 1977年静岡県生まれ。先天性緑内障により12歳で失明する。 慶應義塾大学大学院法務研究科(法科大学院)。2006年に司法試験に合格し、全盲で司法試験に合格した日本で3人目の弁護士となる。著書に『コロナ危機を生き抜くための心のワクチン—全盲弁護士の智恵と言葉』(ワニブックス)など。『全盲の僕が弁護士になった理由――あきらめない心の鍛え方』(日系BP社)は、2014年に松坂桃李主演でTBSでドラマ化された。